【演劇】劇団青年座 『安楽病棟』感想 --描写に賭けるという演劇の在り方
◼︎概要
劇団青年座 『安楽病棟』
鑑賞日 : 2018/6/22
◼︎あらすじ
舞台は総合病院の認知症病棟。
様々な症状の患者に囲まれてんやわんやの看護師たち。ある日、一人の患者の突然死を皮切りに続々と死者が出て……という倫理ヒューマンミステリ(?)。
◼︎この演劇を観た理由
急に時間が出来て、下北をぶらぶらしていた際に面白そうなポスターを見かけたため。
◼︎感想
この芝居の魅力は何といっても認知症患者の描写。物忘れや幼児退行の他、徘徊癖や問いかけ癖、だんまりするお爺さんまで多様かつリアルな描写が凄い。おそらく原作小説の取材力が凄いのだろう。演技力もそれに負けていなかった。
上にミステリと書いたが、ミステリとしての体をなしてはいない。真相は粗筋の時点でほとんど明示されているし、最初からミステリとして描かれていないので、ミステリとしてどうだと語ること自体が筋違いだという意味。
もしこれをミステリだと誤解して観た観客が居たら不幸だが、そんな人はほぼ居ないだろう。
ストーリーの進行自体は普通。観る前の予想通りの進行が進み、予想通りのラストとなる。メッセージ性も予想通り。物語進行上に真新しい驚きがある訳ではない。
だからやはり、繰り返しになるが、認知症患者の描写が肝ということになる。
本作は130分の上映だが、開始から1時間以上を患者の生活の描写に使っている。つまり上記の「物語進行より描写を優先する」という姿勢は、製作者の意図する中だということだ。
「認知症患者は不幸か? 殺してあげるべきか?」
これが本作の主題だが、前半の患者生活の描写を見ていると、とてもそう断言は出来ない。
確かに彼等の中には哀れな患者も居る。
涎や糞尿を垂れ流す者、被害妄想の中で怒り泣き叫ぶ者、自責の念に潰される者、昔の連れ添いをいつまでも追い求める者。
彼等はもしかしたら「殺してほしい」と思っているかもしれない。
しかし、そうではない認知症患者も居る。
看護師の看護に心から感謝している者、編物を生きがいにしている者、子供の出し物に心から喜ぶ者。
当たり前なのだが、認知症患者といっても多様なのだ。生かすべきか殺すべきか、ひとまとめで語ることは出来ない。
死にたい者も居れば、そうでない者も居る。
そしてこの構図は、健康な人間と全く同じものである。
健康であっても生きたくないと思っている人間は沢山居る。死にたい理由なんて幾らでも考えられる。
だからつまり、乱暴に言えば、安楽死の問題と認知症の問題は全く別の事象なのだ。
そこに至るための第一歩が、「認知症患者と言えども多種多様である」という理解だろう。
本作は、その理解を何よりも重視し、大きなリソースを割いた作品である。
倫理的な意見や仮説を述べるのではなく、人間の描写に時間と労力を割いた。
この姿勢は、こうしたテーマについて語る上で有効であるだけでなく、演劇という媒体にも適している。
もっと言えば、高齢の役者を多く抱える劇団青年座という劇団にも適していると言える。
そうした意味で、本作はかなり計算高く作られた、足元のしっかりした演劇だと言える。
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ありがちなテーマと予測可能なストーリーのため、演劇に前衛的な衝撃を求めている観客にとっては、そもそも観る気が起きないかもしれない。
しかし、この演劇の描写にかけた想いを汲み取れたら、面白く観れるのではないかと思う。