芋虫ブログ

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『幻惑の死と使徒』には叙述トリックが使われている、という話

 

 

幻惑の死と使途 (講談社文庫)

幻惑の死と使途 (講談社文庫)

 

 

 

『幻惑の死と使徒』には、明示されない形で叙述トリックが用いられていると思うのだけど、
ネット上にそのような話が見つからなかったので、ここに書き残しておこうと思います。

 

 

 

■『幻惑の死と使徒』とは
森博嗣による推理小説。1997年刊行。
すべてがFになる』から始まる"S&Mシリーズ"の6冊目で、
シリーズのファンには「マジシャンの話」と言えば分かりやすいかもしれない。

 

■あらすじ
脱出マジックを得意とする天才マジシャン・有里匠幻が、衆人環視のショーの最中に殺される。
さらに後日、有里の遺体が霊柩車から消失する。
これらも有里匠幻の奇術なのか?
事件の謎に、N大工学部助教授・犀川と教え子・萌絵が挑む。

 


■事件の全貌(激しくネタバレ)
※以下、ネタバレを大いに含むので、未読の方は読まないでください。

 

 

有里匠幻を殺した犯人は、有里匠幻を裏から支えていたアシスタントだった。
犯人は、劇中では有里匠幻の運転手や助手として登場していた。
そして脱出マジック時には、有里匠幻と同じ格好をして途中で入れ替わる、影武者のような存在だった。

 

しかし実際には、犯人は単なる影武者ではなかった。
マジックのネタや仕掛けを考えているのは(マジシャンではなく)犯人のほうであり、
世間の人々が有里匠幻(マジシャン)だと思っていた男(事件の被害者)は、単なる操り人形でしかなかった。

 

つまり、犯人の方が、本当の意味での『有里匠幻』だったのだ。
犯人は"名前"に固執しており、『有里匠幻』という名前が賞賛を浴びるのならばそれで良い、という考えで裏方に徹していたのだった。

 


■トリックについて(激しくネタバレ)

脱出ショーの最中の殺される事件について。
まず事件の経過を見てみよう。

 

まず、有里匠幻が狭い箱に入る。
その箱には鍵がかけられ、クレーンで持ち上げられ、湖へと落とされる。
数名のダイバーが湖に入り、箱を引き上げる。
ステージに戻された箱の鍵が開けられる。
その箱の中には、有里匠幻の他殺体があった。

 

トリックは以下の通り。
まず、最初に箱に入った有里匠幻は、『裏方の方』(犯人)である。
その後、『裏方の方』(犯人)がダイバーの一人として箱に近づく。
そして海の中で『操り人形の方』(被害者)を殺し、死体を箱に入れて逃走する。
当然、死体で発見される有里匠幻は、『操り人形の方』(被害者)の方である。

 

要するに『入れ替わりトリック』なのだが、

ここに叙述トリックが使われている、と僕は思う。

 

 

叙述トリックについて

作中で、最初に箱に入った有里匠幻(犯人)は、『有里匠幻』と明記されている。一方で、死体で発見される有里匠幻(被害者)も、『有里匠幻』と明記されている。

要するに、二人の人間を同じ表記で示しているのだ。

 

これは、一般的なミステリのルールとしては、「アンフェア」だろう。

しかし大半の読者はアンフェアだと思わないだろうし、僕も思わなかった。

 

何故か。

それは、物語の展開上、「犯人」も「被害者」も、確かに『有里匠幻』だからだ。

 

本作では、『名前』が重要な要素として述べられている。

主人公は「ものには、すべて名前がある」と言い、「人は、ついには、その名前のために生きることになるんだ」とさえ言っている。

犯人は、『有里匠幻』という名前のために生きた。

そして被害者も、世間から『有里匠幻』として認知されていたし、自認もしていただろう。

その重要性を作中で強調することにより、「二人とも確かに有里匠幻である」ということを読者に納得させたのだ。

 

このようなバックグラウンドがあるから、「二人の人間を同じ名称で呼ぶ」という叙述トリックが、アンフェアではなくなる。

というか、アンフェアどころか、これを叙述トリックだと認識している読者すらほとんど居ないのではないかと思う。

 

このようにして、森博嗣は気付かれないうちに「このトリックはフェアです」という暗示をかけているのだ。

 

 


「フェアかアンフェアか」なんて論争は太古の昔から繰り広げられてはいるけれど、

結局は読者が「納得するか」であるから、条件式で区切れるようなものではないのだと思う。

納得というのは論理だけでなく説得力(話術等も含む)が必要となるわけで、
ミステリ小説の、単なるパズル問題文に対する優位性は、こういう点に見出せるかもしれない。

 



トリックには二種類あって、

「あとでネタばらしをした時に喜ばせるもの」(いわゆる推理小説のトリック)と、

「ネタばらしをせず、そもそもそのトリックがあることすら気付かせない物」(いわゆるマジックのトリック)がある。

この作品の叙述トリックは明らかに後者のものだ。

そういう意味で、本作品の『マジシャン』というガジェットとも一致している。

森博嗣はこういう演出がやたらとうまい。

 

このシリーズはこのように、事件のトリックとは異なる所の仕掛けがたくさんあって面白い。

そこそこ古いシリーズではあるけれど、未読の方はぜひ手にとってみてほしい。

(結局また宣伝になってしまった)