【映画感想3】 『東京物語』 ―― どの立場からも共感できる家族映画
■この映画を観た理由
名前をよく聞くので興味を持って。
■あらすじ
東京へ出た子供たちの下を訪ねる年老いた両親。
しかし子供たちには既にそれぞれの家庭があり、両親は内心で半ば厄介者のような扱いを受ける。
老夫婦はそれに文句を言うこともなく、東京を巡っていく。
【監督】小津安二郎
【公開年】1953年,日本
【視聴時】2015年
【レビュー執筆時】2015年
■感想
哀しくて面白い映画だった。
「親子関係とは脆いものだ」という、実は皆が知っているテーマを、叙情的に描いた作品。
この映画の面白いところは、どんな立場の人が見ても、自分の人生を思い返し「はっとする」ところではないだろうか。
親孝行が出来ていない人が見ても、子供と疎遠になった親が見ても、そして現在親と暮らしている子供が見ても、「はっとする」と思う。それは、この「親子関係とは脆いものだ」というテーマが、全人類にとって普遍で他人事ではないテーマだからだ。
そしてその上で、ほとんどの人間がこのテーマを考えないようにしている。
必ず訪れるのに考えないようにしている……まるで「死」のような概念だ。
それを、衝撃的な舞台設定ではなく、「老夫婦が上京する」という現実的なイベントを用いて描いているところが、この映画の怖いところでもある。
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しかしこの映画は「親孝行しろよ」というメッセージを投げかけるものではない。
絶望では終わらない。
それは、紀子の存在があるからだ。
紀子は、血縁関係はないものの、老夫婦を丁重にもてなす。
「自分が育てた子供より、いわば他人のあんたのほうがよっぽどわしらにようしてくれた。」
そう言われて、紀子は涙する。
紀子というキャラクターはなぜ登場したのか。
これはつまり、「人間全体に絶望することなかれ」という事だろう。
上京した子供達のような人間も居る。紀子のような人間も居る。京子のような人間も居る。
そして彼らの違いは、作中で紀子が語っていたように、環境の違いにも依存する。
「でも子供って大きくなると、だんだん親から離れていくもんじゃないかしら。
お姉さまぐらいになると、もうお父さまお母さまとは別の、お姉さまだけの生活ってものがあるのよ」
決して「実の子供達が悪」という話ではないのだ。環境次第では紀子もああなる、ということを言っている。
「いやあねえ、世の中って……」
「そう、いやなことばっかり……」
我々はそれを受け入れ無くてはならない。
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親の立場から見ると、老夫婦の間で印象的な会話が交わされている。
「欲を言えばキリがねぇが、まぁええほうじゃよ」
「ええほうですとも。よっぽどええほうでさ。私らは幸せでさあ」
これは、実子に冷たくされる自分たちを慰める台詞ではあるが、しかし本心でもあると思う。
彼らは自分たちを「ええほう」だと言う。映画の作りからするとそうは見えないけれど、対外的にも「ええほう」だろう。
こう受け止められるだけの年の功、こうした言葉を(不満をあえて口に出さず)交わせる夫婦の絆。
この老夫婦の関係というのもこの映画の見所の一つであり、「人間全体に絶望することなかれ」という裏のテーマに繋がっている。
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映画に疎い僕は、最近になって「古典的な名作邦画」を見ているけれど、見る上での難しさはない。
つまり、キューブリックとかタルコフスキーのような「見ていてよく分からない」ということはない。
邦画というのは、分かりやすく叙情的に描くものなのかもしれない。
しかし退屈ではない。不思議だ。台詞も、小道具の使い方も、見ていて面白い。
古い映画だけれど、世代のギャップを感じない面白い映画だった。