【映画感想6】 『ラン・ローラ・ラン』 ――人生は偶然であり、何にも帰着しない。
■あらすじ
「20分以内に大金を用意しないと殺される」
彼氏からそんな電話を受け取ったローラは、大金を工面するため走り出す。
彼女の作戦は成功するのかしないのか、彼女の行動で周囲はどう変化するのか。
軽快な音楽と実験的な映像に乗せ、3つのパターンが描かれる。
【公開年】1998年,ドイツ
【視聴時】2012年あたり
【記事執筆時】2015年
■感想
変わった映画である。
どこがどう変わっているのか一見すると分かりにくい。
表面を見ると単なるノリの良い映画だったり、オチのないつまらない映画に見えたりするかもしれない。
そういう感想も決して間違いではないけれど、何がどう変なのかを書いておきたい。
まずこの映画の最も分かりやすい魅力は、「赤髪の女性がひたすら走っているシーン」だろう。
テクノな音楽も相まって、観ていて心地が良い。
しかもアニメーションやコマ送りなどの実験的な映像も用いられていて、
物語性とか関係なしに、こうしたシーンだけで作品として成立している。
で、次は「同じ時を繰り返す」という点も分かりやすい。
彼から電話を受けて、走りだし、失敗したら、また「電話を受けた」という所からやり直す。
二周目には、先程道で会った人とのやり取りが変わって、それにより事故が起きたり、人が幸せになったりする。
こういうバタフライエフェクト的な描写は単純に面白い。
しかしこの「ループ設定」が、よく考えると普通ではない。
まず、ループが進むに連れて事態が好転する訳ではないのだ。そして、悪化している訳でもない。
もっと言えば、主人公の行動とは関係なしに変化している*1部分も多い。
また、主人公がループを自覚しているのかいないのかもよく分からない。
ループを自覚していないのなら、これはループというよりも平行宇宙の話になる。
更に、何故ループ(または平行世界)が生じているのかの説明もない。
こうした点を鑑みるに、平行世界という解釈のほうが正しいのかもしれない。
だとしても変わった映画であることに変わりはない。
何というか話のオチというか、教訓めいた点がないのだ。
前述のとおり好転も悪化もしないので、
・努力を積み重ねたらハッピーエンドになる(またはその逆)
・善意によってハッピーエンドにになる(またはその逆)
・人生と人生は繋がっている
といった含みは一切ない。
なのでおそらくこの映画の主旨は、
・未来は確定していない。条件や選択などに依存する訳でもない。
といったことだ。量子論的である。
こうしたある意味で深いテーマを扱っている割に、ヴィジュアルや設定が非常にキャッチーなところが、ちぐはぐで変わっている。
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そんな訳で僕はこの映画が結構好きなのだけど、
ループ設定という評判を聞いて観た人には「何だこれ、全然話が積み上がらない」と思う危険があるし、
ジャケット絵を見てセンスを期待してみた人には「センスは良いけど、なぜループ物?」と思うかもしれない。
何とも勧めるのが難しい映画だ。
僕はあえて、映画を見ながら全体の構成などを考えてしまう少し捻くれた人におすすめしたいと思う。
よく見るとユニークな映画ですよ、という意味で。
*1:つまり何故変化しているのかよく分からない