【演劇感想1】 『効率の優先』(城山羊の会) ――崩壊した人間関係を仮留めしている場所が『職場』
■あらすじ
舞台はあるオフィス。業績は上向きで、敏腕女部長により統率された一見何の問題もない事業部。
しかしもちろん裏では人と人が嫌い合っていて、汚れた恋愛があって、嘘つきが居る。
歪みはやがて大きくなり、取り返しの付かない事態へと発展していく。
【公開年】2013年
【視聴年】2015年 (DVDで鑑賞。公式サイトでネット販売中)
【レビュー執筆時】2015年
■この演劇を観た理由
以前観た、城山羊の会の演劇が面白かったので。*1
ちなみに、演劇関係者ではないし、演劇視聴者としても初心者です。
■感想
今回も面白かった。
一言で言うと、人間関係が崩壊していく話なのだけど、
面白いのは、「そもそも健全な人間関係など無かった」という点だ。
つまり正確には、「人間関係が崩壊していく話」ではなく、「崩壊している人間関係が露わになっていく話」なのである。
今回の舞台である『オフィス』という場所は、崩壊している人間関係の仮留め場所として最も機能的で、身近な存在である。
問題のないオフィスなんて果たして存在するのだろうか?
誰も誰かを憎んでいない職場なんて存在するのだろうか?
まあ、この劇団(城山羊の会*2)の他の劇を見ると、それは決してオフィスだけの話ではなくて、
例えば家庭とか、親子関係とか、姉妹関係とか、そういうものも元々崩壊しているとして描かれている。
しかし場の強制力という意味では、オフィスほど強力なものはないように思う。
「ここは職場です、仕事をしなさい」
劇中で、女部長は何度もこの言葉を使って皆を制す。
仕事を進めること(まさに『効率の優先』)が、サラリーマンにとって最も大事な責務だからだ。
しかし実際問題、私情を一切挟まずに仕事をするなんて出来るはずがない。それをするには、拘束時間が長すぎる。
それでも建前上、サラリーマン達は「効率の優先」を掲げて仕事に望む。まるで自分に人間性が無いかのごとく。
何故そんな無理をするのか? 何故そんな不自然な振る舞いをするのか?
一般的な答えは「賃金のため」だが、実際はおそらく違う。
「自分を保つため」だ。
場の力に乗っかることで、自分の存在を保っている。
自分はサラリーマンで、効率を優先するための機械だと思い込むことで、疑問を挟まないことで、何とか生きながらえているのだ。
では、それが崩壊しそうになった時、どうするか?
もちろん、崩壊を食い止めようとする。
より正確に言えば、崩壊に気づかなかったふりをする。
上司に面談で「職場に不満がありますか?」と聞かれたらどう答えるか?
劇中の社員達は口をそろえて言う。「不満? いや、ありません」
僕らだってそう言う。「職場に不満がある」なんて本当のこと、言うはずがない。
では、職場で殴り合いの喧嘩をして、それを上務に見られたら?
「いえ、何も起きていませんよ」と言うだろう。
自分の損得なんか関係ない。場を乱すのが問題なのだ。
では、職場で死人が出たら?
それはもちろん、ひとまず目の前の仕事を終わらせる。
上務が来るのであれば、死体を隠す。
それが人間というものだ。
こうした行為のうち、どこからが異常だろう?
言ってしまえば、オフィスに集まって「私情を抜きにして働きましょう」などと言っている所から既に異常なのだ。
この作品はそうやって、生きるために許容すべき部分を否定して茶化してくる。
社会に対する皮肉やブラックな笑いが好きな人におすすめ。
そうでない人も、この作品を観て大いにショックを受けてほしい。
■感想(とても個人的な)
ちなみにこの作品に物語性はほとんど無い。
つまり、別に誰かが救われたり、成長したり、何かに気づいたりということはない。
そもそも、話を着地させようと思って書いていない。
オフィスという場があって、人物たちが居て、彼らの関係がどう溶けていくか? それを詳細に描かれたのがこの作品だ。
初期状態A → 崩壊(拡散) というだけの話であり、物語的カタルシスはない。
しかし面白い。
個人的な感想として、それが大きなショックだった。
僕はこの劇団に出会うまで、演劇をほとんど観たことがなく、物語といえば映画や大衆小説だった。
僕が見たものはいわゆる「プロット」を重視しており、オチがあった。
そのオチへの帰着が物語の面白さだと思っていた。
なので、この劇団のように、「単なる崩壊を描く(楽しむ)」といったことが成立する、物語の面白さは決してプロットのみに宿るわけではない、という事実に圧倒されてしまった。